席に着いたら、急に賑やかさが減った。
 もちろん無視する。無視以外の反応の仕方も知らないし、知っていたところでしてやる価値もない。
 たった一人の存在に誰もが敏感になっている。その集団の性質から修復のしようがない。
 私がここにいると何か不都合なのか。
 最初はいちいち反応していて疲れたが、今ではエネルギーの使いどころが分かってきている。実際、感情をどうにかできれば、エネルギー使いどころはほとんど無かったけど。
 空っぽの机の上に鞄を置いた。鞄の中身は弄られないが、机は物色されるので、いつも物は持ち帰っている。
 それを気に入らなかった生徒に一度、授業中抜け駆けされてまで鞄を荒らされたが、当初の私がその鞄より荒っぽかったのは彼女の不幸だった。
 荒らされたものを全て奴にぶつけて鞄で殴りつけてやったら、ヒンヒン泣いて逃げていった。その後、ありがちにも集団で復讐に来た。
 集団とか言っても、先に威圧して制した生徒を除く数人だ。まあ、一人では勝てる相手ではなかったけれど。
 そのとき凌いだのはまだしも、何故その弾圧が今無いのかは分からない。何かあったのかもしれないが、した覚えも、された覚えも無かった。
 ただ、今も嫌がらせみたいな事をして来る奴らはいる。
 机を蹴ったりとか、完全な無視とか、ばれない程度の使いっぱしりとか程度で助かるけど。
 彼女らが勝手に優越感と自己満足に浸っていれば、実害はないし、彼女らの愚かさが目立つだけだから愉快なくらいだ。
 負け惜しみだと思われて、愉快さを伝えられないのが悔しいくらいだ。
 能面というあだ名からして、どうやら私の無表情が気に入らないらしいが、荒っぽいときに般若と呼ばれていたからどの道同じだ。
 彼女たちのそんな口実もまた愚かでしかない。
 話しかけられれば会話もしているし、こちらから喧嘩や挑発をした覚えもないから、堂々と奴らの暇つぶしの対象でいる。
 そこから抜けようとするほうが却って無駄だらけだ。
 何故かは知らないが、彼女らは私を見ているのが面白いらしい。面白すぎてクスクス笑いを止められないようだ。
 どろっとした感情が流れ込むが、もはや感情を客観視できる私には影響を及ぼせない。
 彼女たちの下劣な笑いにこちらが口の端を上げて見せたかったが、それができないので彼女らを凝視している。すると、しばらくして彼女たちは、面白くなさそうな顔をして笑うのを止めるか、笑いに拍車をかける。
 どちらかの反応が見て取れたところで、私は英語か数学の予習をする。馬鹿なこいつらに気を取られるより、差を付けた方が有意義だ。
 だがこの手の人たちは、手荒い手段に出ない限りは流しやすいだけいい。
 厄介なのは寧ろ、こんな私を気の毒だと思ってくれている人だ。優しいの裏返しがお節介だなんて、この歳して未だに分かっていない人だ。
 目を見なければ勝手に機嫌を損ねるか、悲しげに去るか、最悪あいつらに加わるか。自分の期待を押し付ける、独り善がりな優しさにしか出会っていない。
 私は自分のテリトリーが侵されるのが嫌だった。なまじ仲良くなろうと用もなく話しかけたり、普段コミュニケーションを取らないのにいきなりスキンシップをしてくるような人間は苦手だ。
 私は私であり、相手は相手だった。それは絶対的な、最初から決まっていてこれからも変わらないこと。なのに奴らは、まるで太古の昔私たちは同じ人間だった、とでもいうかのように馴れ馴れしい。
 そういう人間に限って、期待が外れると手のひらを返したように態度を豹変させるのだ。
 勝手に可愛がって勝手に憎みだす。忙しい人たちだ。
 まあ、以前の私だったら言えた話じゃないけど。心の中で自嘲的に笑った。
 引きつった、泣き声みたいな笑いだった。



4へ           展示室           6へ