火時計なんてどうだろう。
目盛りで時間を捉えようなんて芸がないじゃないか?
砂時計、あれは時間の上限がわかっているから駄目だ。
しかし何度も周回する秒針よりも、常に落ちていく砂の方が、趣があっておかしかろう?
そこに人が情を移すのは、ただ砂が落ちている、それを時という尺度とせずに、砂が流転の中にあるとした時だ。
だがそれがいつ終わるかもまた目で測れる。
それならいつ尽きるとも分からない、燻り続ける火の絶え間なき変化こそ、我々を取り巻く無常を知る可視の手掛かりではないのか。
こう語ったら、君はさも頭が悪そうに、
「なら僕は葉時計だな。色付く葉は一番分かりやすい。風情もある」と笑った。
君が葉時計と火時計の違いに気付いていないとでも? それはないだろう。
上限がありながら限りを見定められないところに火時計の意義がある。
単なる世の無常ではなく、我々を取り巻く無常を知るためには、単に巡る自然を知ればいいというものではない。
だがそんなことを論じたって無駄だ。君はぼくの言いたいことを知っているはずだから。
彼の妹が茶を煎れてくれた。今時珍しく、襖の閉め方まで心得ている。
「それはそうと、君は何を燃すつもりだい?」
笑いながら君は煙草を咥えた。くゆる煙を楽しそうに眺めている。
ぼくはいつも、和室でこんな事をする彼の神経を疑う。
引火して自らも火に呑まれてしまうことも、焼け焦げをつけることさえもなかった彼は、特に気にしていないのだろう。
「そう、だから君にこうして話を持ちかけているんだよ」
「僕に? そりゃ君、買い被りすぎじゃないのか。小論文を僕に手伝ってもらうほど、君は無能じゃないだろう?」
これは彼の常套手段である。そもそも彼が、人を自分より無能としたことがあるか疑わしい。
彼は可笑しくもないのに微笑を湛え、こんなことを言った。
「僕だったら君、ヒトを燃やすけどね」
断っておくが、彼はユーモアというものが唯一苦手だ。はぐらかすことは出来ても、どこかに必ず本音がある。
また、グロテスクな趣味があるわけでもない。
「どうしてまた、そういう考えを?」
「いやいや何となくさ」
「何となくなんて事はないだろう」
そうだなあ、と彼は天井を仰いだ。彼の視線の先には一筋の煙が立ち昇っている。
さも後付けを考えているような素振りの彼は、相変わらず口元を緩めていて、捉えどころがない。
「なぜって多分、人が抱く時間が無常を教えているからさ」
彼はおもむろに煙草を灰皿で折った。
首の辺りを砕かれた吸殻は、それでもじりじりと己を焦がして行く。
ぼくも彼も、しばらくそれを眺めていた。
「火も人も、抱く時間の切なさは同じ」
やがて彼は吸殻を揉み消した。